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牛乳を知ろう

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牛乳の歴史
牛乳利用のはじまり
人が人間以外の動物の乳を利用し始めたのは約1万年前のメソポタミアで、人間の祖先ホモ=サピエンスが最初といわれており、食肉用に家畜化していた羊や山羊から乳を搾ることを覚え、それを利用するようになったといわれています。

そして約8500年前、トルコなどの中東地域で牛が家畜化され、人が牛乳を利用する歴史が始まりました。
乳は気温の高い中東地域では傷みやすかったため、当初は飲用ではなく信仰儀式の捧げものに使われたり、また飲用にしても貴族や王族など身分の高い人々しか飲めない貴重品だったとされています。

紀元前4000年頃の古代エジプトの壁画や、紀元前3000年のインドの歌にもチーズが出てくるなど、歴史的に乳の加工が行われはじめた時期ははっきりとしていませんが、紀元前2000年ごろアラブの遊牧民が砂漠を移動中に偶然、牛乳がチーズに変わることを発見し、そこからバターやヨーグルト、そしてチーズの原型「ジャミード」が作り出され、遊牧民の彼らが西アジアの広大な草原を移動することで、乳製品の製法がヨーロッパやアフリカ南部、インド方面ヘ広まったと考えられています。

日本における牛乳の歴史
日本の歴史で牛乳が登場するのは、飛鳥・奈良時代の645年。大化の改新のころ、呉国(後の中国)の主・照淵の子孫で百済からきた帰化人、智聡の子「善那」が孝徳天皇に牛乳を献上したといわれています。(古代の日本では、牛は田畑を耕す労働力としての利用がほとんどで、また頭数も少なかったため、乳を利用することはほとんどなかったようですが、「日本書紀」の中で神武天皇の東征の折り、弟猾(おとうかし)という者が『牛酒』(ししさけ)を賜ったという話があることから、弥生から古墳時代にかけて、牛乳が飲用されていた可能性もあるといわれています。)

日本の歴史で牛乳が登場するのは、飛鳥・奈良時代の645年。大化の改新のころ、呉国(後の中国)の主・照淵の子孫で百済からきた帰化人、智聡の子「善那」が孝徳天皇に牛乳を献上したといわれています。(古代の日本では、牛は田畑を耕す労働力としての利用がほとんどで、また頭数も少なかったため、乳を利用することはほとんどなかったようですが、「日本書紀」の中で神武天皇の東征の折り、弟猾(おとうかし)という者が『牛酒』(ししさけ)を賜ったという話があることから、弥生から古墳時代にかけて、牛乳が飲用されていた可能性もあるといわれています。)

701年に制定された大宝律令では、官制の「乳の戸」という酪農家が都の近くに設けられ、三宮(天皇、皇后、皇太子)に毎日三升一合五勺(2.3リットル)を供御し、余りは煮詰めて濃縮した練乳のような「酥」に加工され、さらに「酥」を精製した「醍醐」(チーズやバターのようなもの)へと加工されました。 その後牛乳は貴族用の飲用として広まりましたが、平安時代以降、仏教での殺生の禁止や朝廷の衰退により次第に廃れ、歴史上からもしばらくの間姿を消しました。

江戸時代になり、1727年に8代将軍吉宗がオランダ人から馬の医療用として牛乳の利用をすすめられ、インドから3頭の白牛を輸入すると、近代酪農の始まりといわる牛の飼育が千葉県安房郡で始められました。 また、日本の開国後に多くの外国人がやってくると牛乳の必要性がさらに高まりました。

牛乳・乳製品が大衆の間に普及しはじめたのは、明治に入ってからです。文久三年(1863年)、千葉県長生郡関村の前田留吉がオランダ人から搾乳技術を学び、横浜で牧場と牛乳搾乳所を開き民間の牛乳販売業者第一号になりました。 その後、前田は牧場を拡大し明治8年には88頭もの牛を飼育。この頃にはすでに、前田以外にも160人以上の販売業者ができていました。この文明開化の新商売となった牛乳屋さんには、禄を失った武士たちが大勢いたといわれており、明治2年(1869年)6月に横浜で「あいすくりん」(アイスクリーム)を販売し成功した町田房造も元は旗本でした。

明治政府は、殖産興業の一環として酪農を取入れ、そして牛乳の栄養価値のある優れた食品であることを説きました。 当初の販売方法はブリキ缶に入れる秤売りでしたが、1889年に『牛乳搾取規則』ができると、牛乳はガラスびんで売られるようになりました。 1899年には、『牛乳営業取締規則』により牛乳を殺菌して売るようになり、62℃30分加熱殺菌法が採用されたため、業者には牛乳殺菌及び充填にともなう衛生的な設備投資が要求され、1933年頃より個人企業から会社企業へと組織を変えて発展するようになりました。

明治8年、北海道開拓庁の試験場で日本初の近代ヨーロッパ型チーズが試作され、その後明治37年頃からは函館のトラピスト修道院でも作られていました。しかし、昭和初期までチーズの消費量はごくわずかで、またそのほとんどが輸入品でした。 日本でチーズが本格的に作られるようになったのは、北海道製酪販売組合連合会が北海道の遠浅に専門工場を作った昭和8年以降のことです。

第2次世界大戦中は、苦しい時期であったため技術の進歩や消費は伸びは見られませんでしたが、戦後に食生活が除々に改善されると日常生活が欧米化し、1948年学校給食に牛乳が採用されるなどした結果、牛乳の消費量が伸び始めました。 また、有畜農業を積極的に導入したため酪農を中心とした農業形態となり、酪農乳業は急速に発展をしました。 1950年以降には、殺菌技術の導入や紙容器の普及により、生産性および品質管理の向上等の技術が進歩し、乳業は著しく発展しました。

販売・流通の主流は、急速な発展や消費量の拡大により、これまでの宅配専売店からスーパーマーケット・コンビニエンスストア・生協など量販店へと移っていきました。

現在、牛乳は生産の広域化と利用方法の多様化などにより、食品産業の中でも重要な位置付を形成をしています。

お釈迦様の悟りをひらいた牛乳
仏教のお釈迦様ことゴータマ・シッタルダは、牛乳で悟りをひらいたとされています。
悟りをひらくため山奥で断食苦行をしていた釈迦は、悟りがひらけぬまま衰弱しきって山を下りました。
その途中、難陀婆羅(なんたばら)という長者の娘スジャータからもらった1杯の乳(ダヒというインドのヨーグルト) を一口飲んだところ、あまりのおいしさに驚き、そこで悟りをひらいたという話です。

仏教の教典「涅槃経(ねはんきょう)」には、「従牛出乳、従乳出酪、従酪出酥、従生酥出熟酥、従熟酥出醍醐、醍醐最上、若有服者、衆病皆除」わかり易く書くと、「牛より乳を出し、乳より酪(ヨーグルト)を出し、酪より生酥(せいそ・酥は濃縮乳)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐(チーズやバターオイル)を出す」との記述があり、また牛乳や乳製品は「食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また、楽しみを与えるもの」と賞賛し、 仏教での「仏の最上の経法」である醍醐を『乳、酪、生酥、熟酥、醍醐という五の第五。乳を精製して得られる最上の美味なるもの』と、乳製品の製造過程に例えて、釈迦の修行および教法として説いています。

今日でも使われている「醍醐味」という言葉はこの話に由来します。
また、牛乳は仏教以外にも多くの宗教で霊薬や最高の食材として褒め称えられており、昔からどの文化においても重宝されていたことが窺い知れます。

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